消費税

民主主義の発展の過程というのは、税の徴収を支配者の自由にさせない様にする為の枠組を作くることにありました。年貢の取り立てや役務の提供を支配者権力が勝手に決めることに抵抗する中で、代議制や選挙の制度が出来上がり、税を支払う側の同意を求めることが決まり事になった訳です。

消費税や売上税は取り逸れの少ない税金ですので、取る側からすると大変魅力のある税金で、ある意味打ち出の小槌のようなものなのです。私たちも必要に応じて、自由にお金を集めることができるのであれば、どんなに楽か分かりません。でも、もしそんなことができるのであれば、買い物をする場合でも、好きなものを好きなだけ買ってしまう誘惑に駆られてしまいます。基本税金は少なければ少ないに越したことはないのです。或いは払う側が受ける、行政側のサービスに見合ったものに限定されることが望ましいのです。

所得税などの直接税は収入に応じて支払うものなので、払えるゆとりの範囲で払うことが前提になるので、少ない方が望ましいとしても無理と言うことはありません。ところが消費税はお金のある人も、ない人も同額の税金を払うので所謂逆進性を持っています。ヨーロッパ等は付加価値税ですので税率が高いと言っても、食料品などの生活必需品は無税や低税率に抑えられ、所得の少ない層に負担にならなように配慮されているのです。

消費税のもう一つの問題は、収入が着実に増えているのであれば別ですが、基本消費を抑制する作用をもたらします。日本やアメリカのような国は消費がGDPの6割7割ですので、結果として景気を押し下げ、雇用を減少させることに繋がってしまいます。つまり、税金を払う人たちを減らすことになります。そうすると税収の減った分、又税金を上げるという悪循環を繰り返すことなるのです。ギリシャもこの悪循環に嵌って苦しんでいます。

言い換えると、消費税は社会という体が健康を保てる状態でなければ、社会の薬ではなく毒になってしまうものだと言うこともできます。